2005年 生態学会ニュースレター No.7 (2005), pp.33-34.

サイモン・レヴィン/著 重定南奈子・高須夫悟/訳
(2003)「持続不可能性ーー環境保全のための複雑系理論入門」
375pp. 文一総合出版 本体価格2800円. ISBN4-8299-0069-5 (目次)

著者のサイモン・レヴィンは,米プリンストン大学の生態学・進化生物学科の
教授にして,同大生物複雑系センター所長でもあり,世界の数理生物学をリー
ドする研究者である.本書は,その著者が,複雑系研究のメッカである米サン
タ・フェ研究所で行ったレクチャーがもとになっている.著者曰く「サンタ・
フェは広範な学問分野の人達が集まる場所で,彼らは個々に研究しているシス
テムや問いかけている問題がほかの分野の同僚達が直面している問題とそれほ
ど違った性質のものではないと互いに考えている.生物学者のエドワード・ウィ
ルソンはこれをコンシリエンス--知の統合--と呼んだ」

複雑系とは何か.明確な定義は確立していないが,従来の数理科学的な方法で
は捉えきれない多くの現象には,それらを貫く共通の法則が隠されていると,
研究者たちは考えている.特に,「カオス」,「相互作用」,「多様性」,
「履歴」などが重要な属性として研究されてきた.これらは一般的には系を不
安定化させる因子であるにも関わらず,多くの複雑系においては,多数の要素
が協調して振舞うことにより,秩序や多様性,安定性が実現される.それは,
まさに生態系そのものである.

人類が持続可能な社会を維持していくために,著者が本書に込めたメッセージ
は,日本語版序文の「我々が取るべき道は協調である」という一文に集約され
ている.協調の起源と維持機構の解明は,生態学のみならず,進化学,ゲーム
理論,社会学,政治学など,限られた資源のもとで「利益の対立」が問題にな
るあらゆる分野の主要テーマである.物理学においても,磁性体や超伝導体な
どに見られる「協同現象」は極めて重要な問題であるが,生物における「協調」
との間には字面以上の共通点がある.著者は,これらの問題を解く鍵となる重
要なアプローチとして複雑系理論を掲げる.生態系を典型的な複雑系として捉
え,人類が「自然のサービス」を受ける他の生物や人類自身との協調を達成し,
生物多様性を維持するための方策を探っていく.

著者は,多彩な生態系研究の事例を挙げながら,「構造や不均一性や機能の冗
長性の創出,維持,そしてその重要性を理解することは,個々の生物から経済
全体に至るまでのあらゆる複雑適応系に関する理論の基本である.このような
複雑適応系の枠組みの中で生物多様性を理解することが必要なのだ」と,複雑
系理論の役割を強調する.さらに,「生態学的観点と進化論的観点の間の大き
な隔たり」を埋めるため,「巨視的な世界を微視的な世界と関連づけなければ
ならない」と説く.これは微視的な原子の振る舞いから,気体や固体などの巨
視的な性質を導く統計物理学の主題に他ならない.「生態学の理論家は,長い
間,統計力学理論の魅力に取りつかれてきた」というくだりには,苦笑しつつ
も意を新たにするところがあった.著者曰く「しだいに先細りになってしまっ
た」群集の統計力学的定式化を,まさに筆者は復活させようと模索している最
中だからだ.

本書で紹介される様々な事例は,実証研究者にとってはどれもよく知られたも
のであり,必ずしも意外性を楽しめるものではないかも知れない.しかし,多
彩な話題全てに通暁する人は決して多くはないだろう.著者は,個々の現象に
対して理論家ならではの一歩離れた視点を保ちながら,巨大な生態学の横糸を
たどっていく.そのような統合的視点の探求は,まさに複雑系研究の目標その
ものである.「多様性に共通するパターンを明らかにすることによって初めて,
多様性に関する単なる報告書が科学へと昇華される」といった表現は,原著副
題の「複雑さの共有地」にも暗示された本書のリフレインのひとつである.

著者は最後に,「環境管理のための八戒」を提示するが,それらが必ずしも完
成した複雑系理論の帰結というわけではないことには注意が必要だろう.本書
の「八戒」は、生物や人類が進化的・経験的に築き上げてきた「教条」なので
あり、それらに科学的な根拠を与え,より効果的なものへと加速的に進化させ
ることが,我々に与えられた今後の課題だ.むしろ複雑系理論の研究は始まっ
たばかりなのである.本書の原著出版後にも、「スケールフリーネットワーク」
や「高度に最適化された耐久性」などをキーワードとして、「想定範囲内の擾
乱にはロバストだが、想定外の攻撃には極めて脆弱」といった複雑系の特性を
探る研究がさらに進んでいることを付記しておく.

本書に登場する研究者たちのエピソードが非常に生き生きとしているのは,世
界の研究ネットワークの中心に位置する著者の交流の広さによるものだろう.
多数の弟子たちが世界中に「適応放散」して,数理生態学研究の中核をなして
いる理由の片鱗がうかがえる.著者は日本びいきでも知られる.著者が寄せる
日本語版への序文の異例とも思える長さは印象的である.それぞれこの分野の
第一人者である,著者と訳者の間の信頼関係を象徴している.著者本人とその
仕事を熟知した手練れの訳は読みやすい.豊富な参考文献,索引,用語解説な
どは一切割愛されず,さらに仮名人名索引まで追加されている点には好感をもっ
た.

著者は,数式を用いないという,数理科学者にとっては厳しい束縛のもとで,
良質の科学書を書くことに成功している.中学生から専門家まで,様々な層の
読者が,様々な意味で本書を楽しむことができるだろう.生態学の分野に,こ
のような専門家がいる僥倖に感謝しよう.日本人はさらに幸福である.この書
評を書いている最中に,レヴィンが今年度の京都賞を受賞したという知らせが
舞い込んできた.本書を読んで受賞講演を聴きに行こう.

(時田恵一郎,大阪大学サイバーメディアセンター)


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